『JUMPSYSTEM』の紹介


JUMPSYSTEM』による日本語教授法

「『JUMPSYSTEM』とは、何ですか」と説明を求められたら、一言二言で説明できるほど簡単なシステムではないと答えたいけれど、敢えて説明するとしたら:

  1. 外国人が日本語を学習する時に、私達日本人が考えている国語文法的な文法分析ではなく、ミニマムなルールで分析され、尚且つ、システムとして捉えられた、理路整然とした文法論で、長期的に勉強する学習者が初級の段階で知っておかなければならないシステムが学習でき、さらに、日本語文法の基本的全体像が把握できるシステム。即ち、いかに述べたような事がいかに大切かがはっきり見えてくるわけである:

日本語の述語は3種類しかない
パーティクル(助詞)は基本的にシステムがある
ノミナル(単語)を如何にしてフレーズ(句)クローズ(節)にするか
  1. 文法と言うと『文法ってつまらないし、難しい』と言って私達が英語を入試のために学習した時の『文法』を思い出すが、ここでは、学んだ文法をそのまま知識として頭の中にしまっておくだけではなく、それをどうしたらスキルとして役立たせる事が出来るかを「応用ドリル」としてクラスの中で先生が準備し、学習者はそれに沿ってマスターして、使っていくことができるようになるシステム。

例えば「ても」という文型が出たらその意味だけではなくそこまでにどのように展開して来たかを紹介する。即ち、ただ闇雲に暗記するという学習ではなく理にかなった学習法、後々にも応用展開できる理論でアプローチする。

3種類の述語:ノミナル+だ、アジェクタイバル、バーバルのそれぞれに肯定形と否定形に「て」フォームがあるわけだから:

先生だ/きれいだ   先生じゃない/きれいじゃない
高い  高くない
飲む  飲まない

という例があったら、さらにこの6つを3つのルールにまとめさせることができる。即ち:

グループ1: 先生だ/きれいだ だ→で

グループ2: 先生じゃない(きれいじゃない)
高い い→くて
高くない
飲まない

グループ3: 飲む む→んで

ここではそれがどのようなシステムとして成り立っているかは省略するが学習者にとっては、明らかにこのやり方で学習したら論理的に納得できるはずである。つまり、これらの「て」フォームに「も」を加えるだけでいい話しである。この「も」もどういった意味があるかは、既習させてあるので問題は出てこない。というように段階的に展開した文法がいつも繋がっていくやり方が学べる。また「て」フォームに関わる文型等が出て来た時にはいつもこのシステムを使って応用できるわけである。

  1. 論理的に構築された文法論なのでその文法論さえ把握しておけば、先生は勿論、学習者自身が把握できない時には、学習者のミステークを理路整然と順序立てて治療してあげられるし、学習者は学習者で、ミステークした時の原因を自分で解明できるようにさせる事が出来るようになるシステム。非文法的な言い回しを自分のものにしてしまう前に、きちっとした文法が使えるようになりたいという目的が達成できるシステム。

例: きれいくないきれいじゃない
英語を分かる英語が分かる
田中さんは食べたい田中さんは食べたいでしょう/と思うetc
  1. この初級用の教授法のプライマリーのゴールは、日本語で聞け、話せ、考えられるようになるというのが目的なので、そのゴールを達成させるために理想的にアプローチできるようにデザインされた教授法である。通常日本ではなく、外国で学習しているインドヨーロッパ語圏にいる学習者は、このメソッドで勉強した場合、通常1年から2年以内で日本語を日本語で考えられるようになるシステム。
20年あまりアメリカの学生を日本語集中プログラムで日本に連れて行っているが学生が行く前にしておかなくてはいけない事の一つとして学習者が日本語で話し、聞き考えることが出来るようになることである。その上で日本に行ったらアメリカにいる間に出来る事を日本に行ってまでする必要がないし、それをしていたらせっかくの時間とお金を効率的に使えなくなってしまうことになる。

5.最後に、この『ジャンプシステム』を生かすか殺すかは、まずこのシステムの全体像を掴み、そしてどんな戦略で自分達が設定した目標に向かって戦略をたてられるかである。戦略と言われてどう答えていいか分からなかったらまだまだ日本語教授法に熟知していないのだろうと考えるのも大切な事かもしれない。

このメソッドは、本来日本語の先生というのは、誰にでもできるという考えに対して、反対したもので「日本語教師」というプロの職業に就くためには、そんな簡単にちょっと勉強しただけでは出来ないのだよと言う「Wake up call」という目的でもある。先ずお薦めしたい事は『目から鱗の日本語文法』を呼んで頂き、何、これと思う前に、じっくりこの本が言っている事と、あなた自身が既に持っている文法論と比較してもらいたい。比較するついでにどちらの方が学習者として論理的に理解しやすいかを考えて頂きたい。それをする前に、「この考えは間違っている」と結論付けた人は、もう何をか言わんやであると考える。
もしこの考え方に同意できる人は、経済共々これから衰退していくだろう日本語教育をもっと確固たる、確立した教育として世間に広めていかなくてはならないという義務にかられるだろう。ボランティアとしてちょっととか国語の先生だったからその延長で等と外国人に教えるための日本語教育を考えていたら、そのうち学習者は思いもよらないほど目減りしてしまうだろう。また「日本語教授法」がしっかりした学問として発展していったら、大学等で勉強している大学生も、必ず日本語の先生にならないにしても大学で学習した『JUMPSYSTEM』を通しての言葉に対する考え方、分析の仕方をはじめ、今まで何も考えずに使ってきた/教えてきた自国語がどのように成り立っているか、また、いかにシステマティックかに気がつく事だろう。
とにかく既習の日本語文法論から脱却し、違った角度から日本語を見てみよう。かのニーチェも言っているように「変えなければ変わらない」考え方を変える事に恐れてはならない。

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